「太一くん」


夕日が紅く染め上げる俺と長瀬の世界の中、長瀬の声は妙に大きく響いた。




* *





この公園は俺と長瀬の唯一の繋がりだった。
毎日決まった時間に長瀬は此処に居た。
長身で男前の大人が一人で公園に居るなんておかしく思えて初めは近寄らなかった。
毎日決まった時間に男が迎えに来て、長瀬は帰っていった。
あの日はいつもの時間を過ぎても誰も迎えに来ずに、長瀬はしょんぼりと項垂れて一人でブランコをこいでいた。
俺は初めて近づいて、長瀬は初めて俺を見た。

「こんにちは」

長瀬は警戒心がないのかにっこりと笑った。こんにちはと返すのも間抜けに思えて俺は長瀬を見たまま頷く。頷いてから、それも何だか間抜けだと苦く思った。

「何、してんの?」

そう聞けば長瀬は少し困ったような顔をしてから、「待ってるんだ」と小さく笑った。

「俺、今日失敗しちゃって。どうしよう、来てくれないんだ」

長瀬は泣きそうな顔をして俯いた。
いつも迎えに来る長身で目つきの悪い男のことを言っているのだろうと見当を付けて俺は長瀬の隣のブランコに座る。

「俺は太一。国分太一。失敗って?」
「…俺は長瀬智也。ー俺、特殊能力者で、実験に失敗しちゃって」
「じゃあ、あいつは研究者か」

ギィ…と錆びた音が公園に響く。長瀬は何も言わなかった。
俺たちはそれから特に意味を持たない会話をして、辺りが真っ暗になり長瀬の腹が鳴った頃、あの男が長瀬を迎えに来た。
長瀬は男を見たまま動かない。男は俺を見て少し驚いたような顔をしたが、すぐに何ともなかったかのように無表情になった。

「帰るぞ智也」

それは温かみの欠片もない声で俺は少し腹が立った。しかし長瀬は違うらしい。嬉しそうな顔をして、頷いている。

「じゃあ、ありがとう太一くん、ばいばい」

長瀬は俺に手を振ると男のところまで駆けていき、男の手を取り歩いていってしまった。


それが、この俺と長瀬の世界の始まり。


実験体と一般人の接点は皆無。だから、この公園とあの男が迎えに来るまでの二時間という時間が俺たちの世界の全て。

酷くなる一方の腕の痣や内出血を見るのがとても嫌だった。
ガラスの壁の外で見ているだけの自分がとても嫌いだった。
だからこの日、長瀬の右目に血が滲んだ大きなガーゼが張られているのを見たとき、俺はあの男を殺してやろうと思ったんだ。

「もう止めろ」

開口一番それだったから、長瀬はぽかんと俺を眺めた。

「あの男が強要しているのか?もう止めろ、死ぬぞ!?」
「太一くん…?」
「あいつが居なくなってお前が助かるのなら、俺があいつを殺してやるよ…!」

吐き捨てるように怒鳴った俺を、長瀬は悲しそうに見た。そして俺を呼ぶ。

「太一くん」

夕日が紅く染め上げる俺と長瀬の世界の中、長瀬の声は妙に大きく響いた。
その声音は酷く優しく、その瞳は酷く穏やかだ。そして長瀬はもう一度、ゆっくりと俺の名を呼んだ。

「まあくんを悪く言わないで。まあくんはとても優しい人なんだよ」

あいつがまあくんなんて柄かよ、と俺は心の中で悪態をつく。

「何で庇う」
「まーくんは俺の統べてだから。まーくんが居なかったら今俺は此処に居ないから」

長瀬は真っ直ぐに俺を見る。だから、俺も真っ直ぐにその視線を受け止めた。

「太一くんと居ると楽しかった。でもまーくん、俺が居なくなっちゃったら独りになっちゃうし、きっと殺されちゃう」
「あいつが自分の命惜しさにお前に行くなと言ったんだったら俺はあいつを許せない」
「違うよ。まーくんは行っても良いって言ってくれた。俺が選んだんだ。まーくんはダメだって言ってくれたけど、それじゃまーくんが危ないって俺知ってたから。
俺が実験に付き合いさえすれば俺はまーくんと一緒に居られるしまーくんにはいっぱいお金が入る。それにまーくんも実験に参加してくれて成る可く軽いものにしてくれた」

そう言って、長瀬は眩しく微笑んだ。

「俺の意思で、行かない。ありがとう太一くん、俺、初めて友達出来た。」

何でそんな風に笑えるのか俺にはちっとも解らなくて、拳を握った。
長瀬の肩越しにあの男の姿が見えて強く強く、握る。手が白ばんで爪が食い込んだけど、構ってられない。こうでもしてないと俺は男を殴ってしまいそうだった。でも、それを実行してしまったら長瀬が悲しむ。それだけは避けなければならないと思った。

「智也」
「うん。じゃあね、太一くん、本当にありがとう。さよなら」

俺はなんにも言えなくて、手さえも振れなくて、初めて逢った時みたいにただ無言で頷いた。
長瀬は笑って、また俺に手を振った。










その日を境に長瀬は公園に現れなくなった。
まさか死んでしまったのかと最悪の事態を考えたが、すぐに否定する。そんなはずはない。
俺はずっと待った。長瀬の定位置のブランコの隣で、ずっと待った。
三日が経った。長瀬は来なかった。


「太一くん?」


名前を呼ばれて、俺は勢いよく振り返る。だが、其所に立っていたのは長瀬じゃなかった。
長瀬と同じくらいの背で、ひょろりと長い感じを受けるサングラスをかけた男。
俺が驚き固まっていると、男はまた俺を呼んだ。

「太一くん?」
「…そう、だけど?」

応えれば、安堵したように笑う。そして白い封筒を差し出してきた。

「これ、長瀬から太一くんへ。俺、頼まれたの」
「長瀬…?長瀬は何処にいる!?」

掴み掛からんばかりの勢いの俺を宥めるように、男は俺の方を軽く叩く。そして口を開いた。

「安全かは解らないけど、幸せなところ」
「は?」

何だそれ。怪訝な顔をした俺に男はサングラスの奥で笑って、それ読んでよ、と言った。
手紙には掻い摘めば次のようなことが書いてあった。
俺に対する礼と、謝罪。そしてあの日が誕生日だったこと、そして本当に俺の言葉が嬉しかったんだってこと。あの男ー坂本と研究所から逃げたこと。幸せだってこと。
俺は気付かずに泣いていたんだと思う。サングラスの男が宥めるように俺の背をさすった。
汚い字だった。でものびのびしてるって言えば、そんな感じ。
そっか、って俺は呟いた。お前が幸せなら、それでいいよ。

「太一くん、何かあったら言ってね。長瀬と坂本くんに頼まれたんだ」
「坂本…に?」
「正確には井ノ原が、だけどね。あ、俺松岡。太一くんは長瀬の初めての友達だから」

くつくつと松岡は笑って、誰かを思い出すように眼を細めた。

「あの人はね、不器用なの。優しさを表に出さないんだよ。でも、誰よりも優しいの」
「…かも、知れないな」

何も知らないけど、危険を承知で長瀬を連れて逃げ出したんだから。
そう言えば、松岡は嬉しそうに頷いた。




今、俺と長瀬だけの世界に、音はない。
住人の片方が欠けてしまった為、ぽっかりと穴が空いてしまったようだ。
でも、その空間は無駄では無いように思う。
黄昏時のオレンジ色の世界の中で、俺は確かに優しさを知った。

優しさを忘れそうになったら、またここに来ればいい。
他人の痛みを感じられなくなったら戻ってくればいい。
悲しみを押し付けそうになったら原点に戻ってこよう。

沈みゆく太陽が染め上げる静かなこの世界の中で、あいつの笑い声が、聞こえた気がした。






End.


長瀬ハピバ!
ええっと…幾つになるんですか?(殴)
なんか…長瀬より太一くんと坂本くんが出張った…(笑