それは唐突に俺のカラフルな世界を塗り潰していった。
*グッバイ・ベイビー*
喧嘩の内容なんて忘れてしまった。取るに足らない些細なことだったように思う。
解っていたはずなんだ。昌兄が俺らを怒るのは俺らの為なんだってこと。
だけどやっぱり素直になんてなれなくて、そしてその日は珍しく、准一の奴まで昌兄と喧嘩をした。
「いつまでも俺が居ると思うなよ!」
知るかよ。昌兄はいつだって仕事で居ないのと同じじゃねぇかよ。
「昌兄なんて死んじまえばいいんだよ!」
「まあくんなんて大嫌いや!」
売り言葉に買い言葉ってやつ。後から後悔するのは解りきっていたけれど、どうしても止められないんだよ。
そうして俺らは家を飛び出した。
しれからもう三日になる。今回の喧嘩は根が深いみたいだ。だって昌兄が探しに来ないし、准一も帰るって騒がない。
「何、やってるんだよ剛!准!」
と、そこに現れたのはお隣の長野くんの弟の快彦くんだった。今まで見たことがないくらいに快くんは怒っていて。いつもは笑って緩んでいる表情は怖いくらいに強張り厳しかった。
「昌行くんがこん時にっ」
「昌兄なんて知らねぇし」
そう言った俺の横面を、快くんは思いっきり殴り飛ばした。口の中が切れて鉄の味が広がる。頭にくる以前に呆然とした。
快くんが。
「昌行くんが!!」
泣いてる。
「昌行くん、が、」
急に音が消えた。快くんが何を言ってるのか解らなかった。
准一が快くんを問い詰めてたけど、俺はへたり込んだまま動けなかった。
昌兄が?嘘だ。
信じられない気持ちでいっぱいだった。だってもう喧嘩してた時の苛立ちなんて欠片も残って無くて、在ったのはどういう顔して帰ればいいのかっていうもやもや感だけだった。そうだ、いつだって昌兄が折れて迎えに来てくれたから。
快くんに連れられてきた病院は城島さんの病院で。車を運転してくれていた山口くんにもいつもの微笑はなくて。
竦む足は動いてくれなくて、病院を見上げたまま固まっていたら准一が俺の手を引いて歩き出した。
受付には長野くんが疲れたような顔をして俺らを待っていて、その隣には山口くんの弟の昌宏くんが俯いていて。
嘘だと疑う気持ちは段々と薄れてきて、信じたくないんだという本心が顔を覗かす。
開かれた病室の扉の向こうの眼に痛いくらいの白の中には城島くんとその弟の太一くんと智也が居て。いつもおちゃらけてる太一くんが難しい顔をしてて、智也が泣きそうな顔をしてて。俺らを振り返った城島くんが悲しそうに首を振ったのを見て俺は初めて現実を見た。
昌兄がベッドに横たわっていて。点滴とかチューブいっぱいつけて。何寝てんの、なんて言葉が出てくるわけもない。
「いつまでも」
「死んじまえばいいんだ」
「俺が居ると思うなよ」
音が聞こえた。何かが崩れる音。
「あぁああぁぁあああぁあ!!!!!!!」
昌兄はそこに居るのに。
揺さぶっても、黙って寝たまま。
「剛!!しっかりしろ剛!!」
誰かが俺の体を押さえ付ける。誰だ俺の邪魔をするやつは。俺と昌兄の間に立ちはだかるやつは!
涙で前が見えない。
昌兄の姿さえ滲んで。
俺は独り迷子になった。
掴み損ねた手は今何処にあるの?
「剛くん!!!」
准一の声が、聞こえた気がした。
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まぁくんは病気だったらしい。
俺はまあくんと倒れてしまった剛くんを眺めながら小さく息を吐いた。
驚くべきはその事実を誰も知らなかったことだろう。規則正しく動く電子音がまあくんの鼓動だなんて俄には信じられない。これが止まってしまえばまあくんが死んでしまうだなんて。
涙は出そうになかったけど、俺は一応ハンカチで眼を拭ってみる。
「何してる、准一」
医療機器のスイッチに手を伸ばした時、後ろから諫めるような声がかかった。振り返らなくとも誰だか解る。俺らは長い付き合いやから。
「何してる、准一」
「山口さん」
もう一度同じことを繰り返した山口さんの声は凄く低い。威圧感が俺を押し潰しそうやった。
「手を離せ」
命令口調に苦笑しながらも従う。端からスイッチをオフにする気などなかったから。しかし山口さんはそうは思ってないらしい。
「いややわ、俺を疑ってるんですか?まあくんの弟なんに」
「疑う必要性がない。毒を盛られたならまだしも、あいつのはちゃんとして病気だからな。だがお前の行動には些か疑問が残るな」
「消しなんてしませんよ」
「…どうだか」
「…確かに、楽にしてあげたい…とも思いますけど、−…ほんまに、消すつもりなんてないですわ」
だって、と付け足す。視線を剛くんに移せば、山口さんは顔を曇らせた。
「壊れてしまうでしょう、剛くんも…俺も」
「お前も…?」
「もしかしたら表面だけ残して内は崩れてしまっているのかも知れない」
剛くんが、崩れていく音が聞こえました?
微笑して言えば、何とも言えない微妙な表情をされた。まあ、普通頭がオカシイと思われるよな。俺は意外と冷静に分析しながら山口さんを見る。彼は居心地悪そうに苦渋の色を示した。そんな彼を見ている客観的な自分が妙に滑稽に思えて笑いが込み上げたが、何とか噛み殺した。
「俺、貰われっこじゃないですか」
ぽつりと呟いた言葉は山口さんの頭の上を通り越していく。山口さんはただ射るような瞳で先を促した。
「まだ小さかったから…俺には色んなことが今以上に解らへんかった」
優しかった両親の元から急に強面の男二人の家に連れて行かれて「今日から家族ですよ」なんて言われて納得できますか?と俺は形ばかり問う。山口さんは何も言わなかったけれど、別に答えが欲しかった訳ではなかったから俺はそのまま続けた。
「それでも構ってもらいたい年頃やったから、まあくんにいつもべったりでしたわ。まあくんはそんな俺にも優しかった」
でもね、と俺は努めて無表情で話し続ける。
「ほんまの兄弟やないから、まあくんは最終的には剛くんのところに行ってまうんやないかっていつへこたれてました。剛くんも、きっと俺なんて置いていってしまうって」
それで剛くんと喧嘩したことあるんですよ。俺は堪えきれずにくつくつと忍び笑いを漏らした。
「剛くんはええなぁって、まあくんにいつも構ってもらえてええなぁって。そうしたら剛くん本気で怒ったんですよ。殴られましたわ」
「…なんて?」
「「兄弟じゃなかったら兄貴のこと譲ったりしない!」って」
そうして俺は眼を伏せる。握ったハンカチは明日への片道チケットのようだ。たった独り分の明日への片道切符。だったら俺はこれを切り刻んで空に投げてみんなを追いかけることを選ぼう。
「剛くんかて甘えたい年頃やったん知ってた、のに、後目で見ながら俺は試してたんやね」
自分を、まあくんを、剛くんを。幸せになりたかったから、まあくんの一番になりたかったから。
「でももう諦めたん」
少しの諦めは俺の心に平穏を齎した。俺は今酷く落ち着いている。
「…違うだろ」
山口さんから出てきたのが否定の言葉だったから、俺は少しばかり驚く。そんな俺を知ってか知らずか山口さんは淡々と続けた。
「諦めたんじゃない、受け入れられたんだ」
「まあくんは」
「剛も准一も、同着一意だろう?」
山口さんは微笑みを湛え俺に言葉を投げる。俺は、それを上手く受け取れたんだろう。山口さんの笑みが広がった。
「…はい」
そうして俺は、やっと自分が泣いていたことに気付いた。
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仕事仕事の昌兄が残してくれた金はとても多く、昌兄の生命維持装置に大半を使ってもまだ俺らが進学するのに十分な額が残る。昌兄からの手紙には何も書かれていなかったが、いざとなったら切って欲しいと書きたかっただろうことは推測できた。
俺ら宛の手紙は厳密には手紙とは呼べない代物かも知れない。謝罪の言葉などは一切無く、どこか独り言の日記に似ていた。たわいないことを綴った文字の羅列。昌兄は俺らに何を伝えたかったんだろうか。霞む思考の中俺はたった独りで暗い部屋の中でシーツを被って座り込んでいた。
あれからどれくらい経っただろう。昌兄はまだ眠っている。今まで足りなかった分の睡眠を補給でもしているように。だから俺は待ってるしかない。きっと昌兄は起きてくる。寝過ぎちゃったって笑って。そう信じたい、信じるしかない。
「剛くん…」
准一の声だ。出掛けるのかな。
「行ってくるね」
行ってらっしゃい。俺は小さく身じろぎして応えた。
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剛くんは半分以上壊れてしまった。救いだと思えることは、まだまあくんと俺のことが解ることだ。もうそれ以外の人間を識別することが今の彼には出来ない。この前快くんが剛くんを外に連れだそうとしてぼこぼこにされて、めっちゃ落ち込んどった。
「准ちゃん!こんにちは。…剛はどうや?」
思考を妨げたのは城島さんの声やった。少し急ぎ足で俺に近づいた彼は心配そうな顔で俺の顔を覗き込んだ。
城島さんには凄いお世話になっている。まあくんの命も剛くんの精神も、全部城島さんが背負ってくれた。
「ぼちぼちですわ」
それ以外どう答えればいいのか解らなくて、俺は薄笑いする。でも城島さんは言葉尻から微妙なニュアンスを拾ってくれたらしく、小さく頷いた。
「俺、昇進するんですよ」
給料上がるんですよ、と空を見上げる。そこには吸い込まれそうに青い空が広がっていた。
「剛くんにも働いてもらおうと思ってるんです。このままじゃいけない」
僕らは雲だ。風に流され姿を変えていく。
俺は空を見上げたまま続けた。
「大変ですね、働くという行為は。…まあくんは凄いです、今なら素直にそう思える」
「…二言目にはお前らのためいうてたから…。不器用なやつや。伝え方が解らんて嘆いてたっけ」
「俺まあくんが起きたら謝ります。そんでもっていっぱいありがとうを伝えたい」
視線を落として城島さんを見る。暗に、まあくんは死なないと言って欲しいのかも知れない。相手に肯定を求めている、教養は何の意味もなさないというのに。
「だいすきも、いっぱい伝えたりや」
それでも城島さんは俺の背中を押してくれた。
「…はい!」
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「…くん、剛くん」
誰かが俺を呼んでいる。誰だっけ煩いな…。顔を顰めた俺を無視してそいつは続ける。
「俺今度昇進すんねん。で、これを機会に剛くんにも働いてもらいたいんや」
働く…?嫌だよ、俺は、昌兄を待ってるんだ。
ぎゅうと膝を強く抱えた俺に誰かが強く責めるようにいう。
「まあくん見返したるくらい稼いでみぃや!このまままあくんの貯金に縋って生きるつもりなんか!?」
煩いウルサイうるさい!昌兄の何が解るっていうんだ准一のくせに…、
「…じゅ…ん?」
「剛くん!」
何で忘れてたんだろう、弟の准一。そうだ、准一は働き始めたんだっけ。
「こんなところで膝抱えて縮こまっとってもまあくんは喜ばへんよ」
昌兄?だって昌兄を待ってないと、兄貴が可哀想だ。
「まあくんを、楽させたろうやないか。まあくんはそれは目を瞑って待ってくれとんなやない?俺らは大人にならなあかん。それは社会に貢献するのではなく精神的に自立してという意味でや」
「昌兄ぃ…」
「すぐ近くにおるよ。見ないでくれとるよ。だから、立ち上がろう、剛くん。格好悪いの、今なら見ないでくれてんで」
准一に言われ、世界が傾いてしまったような錯覚。でもそれは良いことなんだと思う。だってほんの少しだけど光が見えたから。
顔を上げてみる。立ち上がってみる。そっと、一歩を踏み出す。
暗闇の中で、誰かが笑った気がした。
「いいよっていったら、俺たちの頑張り見てくれるかな」
「おん、必ず。まあくんは一番に俺たちのことを想ってくれとる」
「…働けるかな」
「何弱気になっとんのや、剛くんらしくない。想いがあればどんなことでも乗り越えられる、俺はそう信じとる」
「…准一のくせに」
顔が強張ってて上手く笑みを作れなかったけど、俺は本当に久しぶりに笑った気がした。
それから俺は働き始めた。慣れない仕事に鈍った体で、初めは全然上手くいかなくて諦めかけたけど、みんなが応援してくれたから、俺は今も何とか働いている。忙しくて大変だ。少しだけ昌兄のことが解った気がした。
俺は昌兄から見ればいつまで経っても子どもだけど、俺の中の子どもの俺には暫しお別れをしようと思う。
グッバイベイビー、また今度。兄貴が起きたらきっと否が応でも逢うことになると思うぜ。
たった一人寝ていたままでも、それでも世界は回って、地球も廻って、歯車は回り続ける。 一度動き出した原子炉みたいに止まっちゃくれないんだ。
仕事が一番じゃないと思うぜ?でも、それがないと動けないのも事実。
俺に次ぐ、ハローハロー、聞こえますか。
兄貴はまだ眠っています。でも城島くんは数値は正常に近づいているといってました。
膝抱えて落ち込んでいませんか?俯いて暗い顔してませんか?笑えよ、もうすぐ兄貴が起きるぜ。
ハロー、聞こえた?グッバイさよなら、俺は行くぜ。俺の中のベイビー、また逢いましょう。
ハロー、聞こえますか!
俺の声が聞こえたら今すぐ出てきて下さい!
早く、ベイビー、兄貴が起きたよ!笑ってくれたよ!褒めてくれたよ!
長らくおまたせしてすいませんでした。
兄貴と准一と、子どもの俺に伝えよう。
End.
剛くんハピバ!(…ハッピー?)
ごつんはベイビーとか言わなそうだぜBaby(笑)
坂本くん辺りに言ってもらいたい。んで大爆笑する(酷
取り敢えず剛つん28歳オメデト!!!
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