ま ぁ く 






























呼びかけてないから坂本君は答えない。当たり前だ。
そんなことを考える俺の膝の上で二人分のお弁当がカタカタと揺れた。

「今日はなんで電車やの?」
「だって自転車パンクしたからさぁ」
「おまぬけさんやなぁ」
「俺の所為じゃないの。そういうのは今度自転車に言って頂戴」

そんなこと言いながら笑う坂本君の隣で、俺はきゅう、と胃が縮む感覚を覚える。

「(読みたい本、おうたんやけど)」

図書館カードの貸し出し期限はきっと明日までだったんだけど、今日はもう読み終わりそうに無い。

「(まぁくんの所為だ)」

パンクは自転車の所為(もしかしたら石とかの所為かもしんない)。
本が読み終わらないのは坂本君の所為。

「(別に、そんなこと言わへんけど)」

必要ないことなんか俺達の間には本当に必要なくて、いつの間にやらそれが俺達の暗黙のルールになってしまって
いるのは少し悲しい。

それでも今日の坂本君はおかしかった、と、思う。



朝っぱらからピンポンというあまり特徴的でない上に平々凡々な音をあげる俺の家のインタホンを鳴らした坂本君は、
俺が玄関を開けると満足げににいこりと笑ってずかずかと侵入して来た。
「まぁくん、なんやの?どうしたん」
ちょっと焦ったように言う俺なんかに構わずに、坂本君はとことこと(ずかずかと)キッチンに入っていって「ぱぱらぱっ
ぱらー」なんていう効果音と一緒に自前のエプロンをびろびろと取り出した。

「(それはそれは真っ青なエプロンだったけど、ドラえもんのモノマネはあんまり上手くなかったね)」

でも、あんまりにも俺の冷蔵庫を漁る坂本君の背中が泣きそうだったから、その言葉は空気と一緒にごくりと飲み込
んだ。
そうして俺はそのまま坂本君の手によって形作られていく二人分のお弁当を見ていた。







「まぁくん」
「ん?」
「何処行くん」

坂本君は答えない。
俺の膝の上で相も変わらずカタコトと揺れる二段重ねのお弁当は、坂本君の秘密レシピがたくさん詰まっている。俺
の読んだどの本にだって載ってやしない坂本君の世界。
坂本君が何で傷付くのかとか何で喜ぶとか今から何処に行こうとしてるのか、そんなことは何一つとして知らないの
に。

「何処、行くん」

二度目の問にも、坂本君は曖昧に笑って「うーん」と首を捻っただけだった。


「(まぁくん、ちぃとだけ教えてな。俺達は何処へ行くん)」


人気の無い、平日真昼の電車はガタゴトと揺れて、中身の詰まった箱と俺達をカタコトと揺らす。

「あー」
「なに」
「眠くなってきちゃった」
「ちょ、待ち。今寝てどないすんの」
「どうもしないよ。お弁当作ったら疲れちゃったんだってば」
「何処で降りるん。俺、起こせへんやん」
「何処かなぁ」
「まぁくん?」

「何処へ行くのかなぁ」

向かいの大きな窓から入ってくるさんさんとした目に痛い太陽の光は、今の俺には有害物質だけど、それはそれは
綺麗に隣の坂本君の顔を照らす。
眩しさに目を細めたら、ほんの少しだけ泣きそうになったから欠伸をしたふりでごまかした。

「ほら、岡田だって眠くなってるじゃん」
「いやいやいやいや、そのほらの意味が分からへん」

俺の説得もむなしく坂本君は目を閉じてしまう。
眩しすぎる光は坂本君の睫毛まで照らしていくよ。

「(まぁくん)」
「(いつも言わへんけど、俺の名前を呼ぶその声、好いとるんよ)」

舞台上がってるときとか静かなときとか一緒のときとか、色んな時の坂本君も、結構好き。

「(でも、言えへんやん。そんなん)」
「(まぁくん)」

俺はその名前を何度だって呼ぶけれど、心の中だけで反芻するその音は坂本君に届く事は無い。
でも本当は、何度も何度も声にしようと思ってるんだよ。

「(まぁくん)」

あぁ、今すぐこの隣で眠る人の手を握りたい。

「(だいすきやよ)」
「(ドラえもんのまね、似てへんなんて思うてごめんな)」

カタカタ。
俺と坂本君のお弁当が揺れる。
崩れないで。

まだ、崩れないでね。


「(俺一人じゃ何処にも行けへんけど)」
「(言うてくれれば何処にだって連れてったげる)」

二人だったら何処にだって行ける。
きっと。

「(行けるよ)」


いつの間にかすうすうと寝息を立てていた坂本君に泣きそうになって、やっぱり欠伸のふりでごまかした。
寂しいとか悲しいとかじゃなくてただただ胸が一杯になってしまったのさ。



坂本君。
本当は、ほんとにほんとに少しなんだけど、坂本君が落ち込んでるの知ってたんだ。

だけど俺はどうしたって坂本君を助けてあげたりできないから、ずっと黙ったまま。

「(卑怯でゴメンな)」


本当にこのまま何処かへ行ってしまいたい。


「(まぁ君と、俺と、二人分のお弁当箱)」
「(そんだけあれば、俺達の世界は安泰でしょ?)」

ああ、

「(ドラえもんのどこでもドアが欲しいなあ!)」

そうしたら本当にこのまま何処かへ行ってしまえるのに!







      








強く握った手は思いのほか温かくて、俺は今度こそ小さく泣いた。

















弱い岡田君(最悪だなおまえ!)


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