1.灯送人


都会の喧騒の中、しゅるりとそんな効果音が合いそうな動きで何か動物が
男の足元を駆け抜けていった。
速すぎて捕らえることは叶わなかったが、いたちのような生き物だったと思う。
都会に似合わない動物との遭遇に、男は思わず駆け出していた。

するすると滑らかな動きで人にぶつかることなくそれは走る。
やっとの事で視界に捕らえたのはその生き物が人気ない路地を曲がった
姿だった。


「捕った!」


勢いよく叫んで曲がれば、そこに立っていたのは細身の男だった。
全身黒ずくめで、髪は暗い茶色、サングラスをしていて瞳は見えない。
その足元には、狐。黒と白のコントラストが何故か一瞬都会を忘れさせた。
男はぱちくりと瞬きをして、あぁ狐だったのかと間の抜けた顔をして思った。


「えっと…その狐、あんたのペット?」

上手い言葉が思い付かなくて男は少し困ったように頬を掻いた。
表情はサングラスのせいで読めないが、驚いたように微かに肩が揺れたのが
解った。

「お前は、誰だ」

威圧するような声色に男は苦笑いを浮かべてそんな警戒しないでよ、と言った。

「俺は井ノ原快彦、27!職業警察官!よろしく!」

にこにこと井ノ原は笑って男に手を差し出した。男は動かない。
井ノ原は無理矢理男の手を掴んでぶんぶんと振った。

「あんたの名前、教えてよ」
「必要無い」
「握手した仲じゃないっ!酷いわ!」

よよよと泣き真似をした井ノ原をサングラス越しでも解るような
冷めた眼で見てから男は屈んで白い毛並みの狐を撫でた。

「坂本…」
「え?何?もう一回」
「………二度は言わねぇ」
「えぇ?!ーっサカモ…?坂本っていうの?!よろしく坂本くん!
あんたの方が年上っぽいからくん付けで呼ぶね!」
「勝手にしろ」
「うん!」

嬉しそうに笑って井ノ原は頷いた。

「綺麗な毛並みだね、触ってもいい?」
「…こいつはだめだ、人見知りが激しい」
「ちぇ。ってこいつ以外なら良いの?つか何匹飼ってんの?見たい見たい!」

大きい声に顔をしかめて坂本は井ノ原を睨んだ。
しかしサングラスのせいで井ノ原は気付かない。
隠すこともしないで溜息をつき、坂本は立ち上がった。

「ね、今度触らせて!」
「今度、な」
「絶対だよ!絶対だから!あっこれ俺の名刺!
あげるね、なんかあったら電話してね、なくてもしてね!!」

それだけまくし立てると井ノ原はじゃあ俺仕事だから!と去っていった。
まるで嵐のようなやつだ、と坂本はもう一度溜息を吐く。


「なぁ東風、あいつ、何者だろうな」



井ノ原の名刺を見つめながら坂本は口の端を上げた。














その弐




それから3日後の昼休み中、
机の上に置いてある携帯がブルブルと震えて、井ノ原は反射的に携帯をとった。

見知らぬ番号に眉を潜め、それから期待に顔を緩ます。


「はい、井ノ原です!」
「―よぉ」
「坂本くん!?待ってたんだよ!あの時失敗したなぁって思ってさぁ
だって番号きいとけばこっちからかけられたのに!!」

携帯を耳から離して坂本は顔をしかめた。

「耳元で騒ぐな!聞こえてる」
「うんごめんね、ね、何?快くんに会いたくなっちゃった?狐触らせてくれるとか!?」
「そんなに触りたいのか」
「うん!!狐触れる機会なんてそうないじゃん!」

ねね、いーでしょ、と強請るような井ノ原の声に笑いを噛み殺し坂本は小さく息を
吐いた。


「仕方ねぇな…」
「ぇっまじ?!やったあぁぁあ!ありがとう大好き坂本くん!!何時!?俺ね俺ね今晩でも
イイヨ!?」


嬉々として食い付いてきた井ノ原を、相当の変わり者だと坂本は思った。

見ず知らずの人間にあんな初対面から懐ける人間は珍しいだろう。
坂本は強面で尚且つ親しくない人間に対しての愛想のなさは一級品だと
自覚している。

「今晩、な。別にいいぜ?」
「じゃあ決定!!今夜坂本くんち!絶対だよ約束破らないでね!?」
「ああ」

じゃあ!また後で!と言って切られた電話の無機質な機械音をきいて坂本は
呆れたような顔をした。




「何時だよ…しかもあいつ俺の家知らないだろ」












その参




「いやぁ嬉しさのあまり肝心なことを忘れてたよー」



井ノ原はにこにこと笑いながら頭を掻いた。
結局あれから坂本が電話をかけ直したのだ。
二人は地元の駅で待ち合わせをし、そして今坂本の家に向かっている。
歩き始めて約5分、坂本が立ち止まったのはなかなか家賃が高そうなマンションの
前だった。

「マンションなの?」
「ああ」
「ペットオッケー?つかオートロック!?うわ坂本くん何して暮らしてるの!?」

騒ぐ井ノ原を五月蝿い、と諫めて坂本はエントランスのロックを外した。
エレベーターに乗って上がっていく。どうやら68階建てのようだ。
井ノ原はうきうきとしたように始終楽しみだなぁと呟いていた。

66階で止まり、チン、と音をたてて扉が開く。
軽い足取りで井ノ原は坂本の後をついていった。

「いいなぁスゴイなぁ66階にオートロックの高級マンション」
「別に良かねぇよ」

井ノ原の言葉に坂本が眉を潜めて反論する。
井ノ原は不思議そうに首を傾げた。

「何で?見晴らしイイデショ?」
「そんなもんいらねぇ」
「…もしかして」

不機嫌そうに肩を揺らした坂本を覗き込むように井ノ原は囁いた。


「高所恐怖症?」

「………」


返事がないのは図星だからだろう。

顔に似合わず、といった弱点に井ノ原は顔が緩むのを止められなかった。














その四




「バカにして笑ったんじゃないよー可愛いと思って笑ったんだよー!」
「余計悪い!」


ご機嫌斜めになってしまった坂本を見て井ノ原は微笑した。

何故だか解らないが、凄く楽しい。
坂本は人を惹き付ける何かを持っているのだろうなと井ノ原は思った。

「へぇ、普通の鍵の他にカードキーもあるんだ」
「めんどくせぇだけだ」

短く言ってロックを外す。坂本はドアを開いて井ノ原を中に入るよう促した。

「うわぁ広い綺麗」
「何もないだけだ」

部屋はダーク系で統一されていた。
白黒写真で撮ったようなそんな空間。
少しだけ疎外感を感じる部屋だった。


「わ!やっぱ眺めいいジャン!」


シャッとカーテンを開けて外を見た井ノ原が感嘆の声をあげる。
坂本は眉を寄せて井ノ原を見た。

「閉めろよ、俺はできる限り見たくねぇ。…狐みるんじゃねぇの?」
「あ、うん!!」

勿体無いなぁと呟きながらもやはり狐を触りたい気持ちが勝るのだろう、
井ノ原は素直にカーテンを閉めた。


「東風、南風、葛葉!」


坂本が呼ぶと何処からか狐が三匹現れた。
井ノ原にはその内の一匹には見覚えがあった。
坂本と出逢うきっかけとなった白い狐だ。

「白いのが東風、赤が南風、銀が葛葉だ」
「うわわゎゎわ本物だよねこれ!?ねぇねぇ触ってもいい!?」

興奮したように喋る井ノ原の瞳は三匹から離れない。
坂本は苦笑して南風の背中を軽く叩いた。

「…噛まない?」
「さぁ」
「さぁって!うわでも噛まれてもいいかも?経験したことないもんね!!」

恐る恐る南風に手を出しながら一人で喋る井ノ原を見ながら坂本はくつくつと笑っ
た。


「つるつるー!!ふわふわー!!滑らか気持ちいいー!!」


ヒャッホウと一人歓喜しながら井ノ原は南風を撫で回した。
南風は迷惑そうな表情をしたがそんなのはお構い無しだ。

「いいなぁ一匹欲しい…」
「やらねーぞ」
「…解ってますーちょと言ってみただけだし!」


もぅ意地悪っと南風を抱き締めた井ノ原を坂本はすっと眼を細めてみた。

まるで探るように。

東風と葛葉は大人しく坂本の両隣に座っている。
しかし東風の耳は伏せられていた。